Brazil
Basic Information (History)
:: Question ::
主な歴史的な変動は?
:: Answer ::
ブラジルの基礎は、アメリカ大陸先住民の移住者によって形成されたといわれています。文書記録として残っている歴史では、1500年にポルトガル人によって発見され、その後およそ300年にも及ぶポルトガルによる植民地時代(1500年-1808年)、ポルトガル王朝であるブラガンサ王朝皇帝による帝政時代(1808年―1889年)を経て、1889年より現在の共和政時代に至っています。 [植民地時代 (1500年-1808年)] 1500年4月22日、第2回インド遠征隊を率いてインド洋に向かっていたポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに漂着したことでブラジルは「発見」されました。本格的な植民は1530年から始まり、16世紀半ばにはカピタニアと呼ばれる14の世襲の行政区が定められました。このカピタニア制度はその後長く続き、近代ブラジルの基本的な領土区分及び政治基盤にも影響を及ぼしています。 その後、ポルトガル王を兼ねたスペインのフェリペ2世が1578年に即位したことでブラジルの開発はいったん中断されましたが、国際法に基づき1640年には再びポルトガルがブラジルの権利を掌握しました。 一方、1690年以降には金鉱の開発が始まり、ブラジル植民地のみならず当時のヨーロッパにも大きな影響を与えました。採掘された金はポルトガルの管理の下、リスボンに輸送され、最終的にはロンドンにたどり着いて産業革命に資金面から貢献しました。 また、18世紀にはコーヒーがフランス領ギアナから初めてブラジルにもたらされました。初期のコーヒー農園は、奴隷による労働力が豊富にあったリオデジャネイロの奥地にありましたが、19世紀後半の奴隷制の廃止及びヨーロッパからサンパウロ州への移民の流入などにより、土壌や気候、高度などがより好条件であるブラジル南部へと広がっていきました。その結果、ブラジルは世界最大のコーヒー生産国へと成長していくこととなります。 [独立・帝政時代 (1808年―1889年)] 1807年、フランスがポルトガルへ侵攻したことでポルトガル王室はブラジルへ亡命しました。1822年9月7日にはブラジルの独立が宣言され、ブラジル帝国が建国されます。王位に就いたペトロ1世は1824年、帝王神格化のタブーを破る、当時としては極めて進歩的な憲法を発布し、19世紀における政治的・社会的発展を推し進めました。 続くペドロ2世が1840年に皇帝に即位し第二帝政時代が始まると、二大政党制が確立されました。また新関税法が導入され輸入関税が引き上げられたことにより、工業化の基礎条件が構築されるなど、政治的、経済的に発展を遂げていきます。 しかし、発展の過程においてペドロ2世は国民からの支持を失い退位、イギリスへ亡命します。この無血革命により帝政が崩壊し、現在の共和制へ移行していきます。 [共和政~現在 (1889年―)] 1889年11月15日、軍の革命により皇帝が退位すると共和制が樹立され、マヌエル・デオドロ・ダ・フォンセカがブラジルの初代大統領に就任しました。1891年に憲法が公布されると、正・副大統領の直接選挙、三権分立などが制定され、国名がブラジル合衆国に変更されます。 また、連邦制のもと帝政時代の地域区分は州に置き換えられ、上院、下院の二院制が制定されると同時に、完全に独立した最高裁判所が設立されました。また、州レベルでも中央政府と同様の政治基盤が置かれています。1930年までは、どの大統領も憲法に則った選挙により選ばれました。 ヨーロッパでの戦争終結後、1946年よりエウリコ・ドゥトラ将軍が大統領に就任し、三権分立と大統領直接選挙を定めた新憲法を制定しました。1955年には「50年の進歩を5年で」をスローガンに、ジュセリーノ・クビチェックが大統領選挙に出馬して当選し、ブラジル内陸部の発展促進を目的に、新首都ブラジリアの建設に着工します。しかしブラジリアに首都を移転したことで様々な経済的負担がかかり、1960年代から1980年代にかけてハイパーインフレが勃発し、ブラジル経済に大きな影響を与えることとなります。 1964年から1985年にかけては軍政が敷かれましたが、1979年以降、軍の政治的圧力は徐々に弱まっていきました。この期間に大統領になった5人は全て軍出身でした。反共産主義のうねりの中、政権に就いた初代大統領カステロ・ブランコ氏は、政治と経済を安定させるため、政府の権限と体制強化を目的として、広範な憲法改正を行いました。次期政権以降の15年間、すなわち1968年から1983年までには、いくつかの軍政令(事実上の大統領令)が打ち出されました。これらにより、個人と集団の多くの権利が奪われ、団体交渉は排除され、ストライキは違法となり、労働運動は制限されました。 その後新大統領の選出について直接選挙を求める声が全国規模で高まり、1985年1月、タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェス候補が国会議員を中心とする間接選挙で大統領に選ばれました。次に大統領に就任したジョゼ・サルネイ氏は新憲法を立案する議会召集のための総選挙を行い、18ヶ月の審議の後、1988年10月15日、新憲法が発布されました。この新憲法は権利保護、人種差別の禁止、非識字者の選挙権などが認められた民主的な内容になっています。 1995年にはカルドゾ大統領のもと、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの4ヵ国によって南米南部共同市場(メルコスール:MERCOSUR; Mercado Común del Sur)が発足しました。南米南部共同市場の発足により、総人口約2億人、総GDP約1兆ドルの規模を有するブラジルの企業は、空前の成長を実現し、さらに、国営企業の民営化促進と経済の安定化を受けて、海外からブラジルへの投資、資金流入も数百億ドルに達することになります。 その後、2001年よりブラジルは成長しつつある新興諸国「BRICs(Brazil、Russia、India、China)」(現BRICS:Brazil、Russia、India、China、South Africa)の一員として、国際社会の新たな舞台に立つこととなります。 2006年に行われた大統領選挙では労働者党のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ氏が大統領に就任し、第二次ルーラ政権が発足、2007年には南米諸国連合が発足します。そして、2010年大統領選挙において、労働党候補としてジルマ・ルセフ氏が当選、2011年1月1日よりブラジル史上初の女性大統領が誕生。しかしながら、汚職問題を引き起こし、ジル間・ルセフ氏は、弾劾裁判により罷免することになった。し、現在に至ります。
Creater : Yoshida Yukiya