Thailand
Basic Information (Politics)
:: Question ::
政権の過去からの動向はどのようになってますか?
:: Answer ::
1997年初頭、アジア通貨・経済危機を機に、タイはIMF融資による172億ドルの受入条件を受諾し、抜本的な経済構造改革に着手し、民主化を推進する憲法改正を行いました。 タクシン政権の発足後、内需拡大政策の効果と見られる個人消費の活性化等もあり、タイ経済は2007年頃まで比較的高い成長を続けました。 2006年9月、政治的混乱を収拾するとしてソ ンティ陸軍司令官率いる軍がクーデターで実権を握り、タクシン政権は失権し、 2007年8月にスラユット枢密院顧問官(元国軍最高司令 官)を首班とする暫定政権の下、憲法起草議会により新憲法の起草が行われ、 2007年8月にはタイ政治史上初の国民投票により新憲法が制定され、 2008年2月6日、 同党を中心とする6政党によりサマック党首を首相とする連立政権が樹立されます。 しかし、PADによる反政府デモが激化し、違憲判決でサマック首相は失職し、サマック政権は崩壊し、 ソムチャイ前副首相が国民の力党ほか連立与党の支持を 得て新首相に指名され、ソムチャイ内閣が発足します。 2007年の総選挙における党幹部による選挙違反の案件を審議してい た憲法裁判所は、国民の力党、タイ国民党、中道主義党の与党3党に対し、解党判決を言い渡し、 3党の党首および役員全員は5年間の政 治活動禁止の処分を受けたことにより、ソムチャイ首相は失職 し、ソムチャイ政権は崩壊しました。 2008年は、反政府デモ化により政局が不安定化したことに加え、 折しもインフレ率の上昇で減退し始めていた消費や投資のマインドが悪化しました。 さらに先の空港占拠等による緊急事態宣言の結果、観 光業も大きく停滞し、経済成長率は低下を始めました。 こうした流れの中で、国民の力党内で最大派閥を形成していたネー ウィン派が、民主党と解党されたタイ国民党および中道主義党の議員、国家貢献党の一部からの支持を受けて、 2008年12月15日、下院においてアピシット民主党党首が首相に選出され、同月22日、民主党連立政権が成立しました。 アピシット内閣は、現下直面している経済危機を乗り越えていくことで、タイの発展を安 全確実かつ持続的な形で実現していく」という経済政策を示し、海外の輸出市場の景気回復に伴うタイ経済の復興を目指しています。 その後、2011年、タクシン元首相の実妹であるインラック氏が首相に就任 し、タイ貢献党を中心とした連立政権が発足しました。 そして、 2014年8月25日には、国王からの任命を受けてプラユット氏が正式 に第37代首相に就任しました。 プラユット政権は閣僚33人のうち 12人が軍人で、陸軍主導の態勢が明確な、軍人色の強い政権となり ました。 王政を守ることを最も重要な課題と位置づけ、汚職の撲滅や 貧富の格差の是正、経済や教育の改革など11の重点項目を発表しました。
Creater : Mamie Sato